第36回定期大会、大会宣言を採択。

2024年5月19日、定期大会が成立し、論議が行われた。

採択された大会宣言を掲載する。

2024大会宣言

 今、私たちはどのような時代に生きているのだろうか?周りをよく観察してみよう。

 電車でも、飲食店でも、学校でも、街じゅうどこでも、皆、うつむいて指を動かしている姿を目にする。歴史の教科書には、人類は進化を続け、その最大の特徴は「直立二足歩行」であると記載されている。なるほど、その進化の結果として、指一本で世界とつながることができるスマートフォンは人類史上、最大の発明の一つだろう。しかし、その発明品を持った人類の姿勢は、むしろ「前傾二足歩行」に退化している。それは旧人でもなく、原人か猿人に等しい。さらに、スマホでは簡単に商品を買い、情報を瞬時に得られるが、逆に余計に商品を買わされ、特定の情報に誘導されている、とも言えるのであり、その意味で、実際には企業からすると、スマホと一体化している人間は、その個人情報を提供してくれる商品であるのみならず、他者と競って大量の商品消費を促進してくれる商品そのものなのかもしれない。言わば、人間存在全体がまるごと商品となりかけている。そういう時代である。

 さて、何よりもまず、私たちは労働者である。資本主義社会では、労働者は自らの労働力のみを商品として売り、それを賃金と交換することが原則である。ただし、資本主義社会では同時に、労働者は否が応でもあらゆるモノを商品として買わなければ生活できないようになっている。つまり、自らの労働力を商品として売って生活する労働者は、あらゆる商品を買って生活する消費者でもある。労働者としては、自らの労働力商品を高く売ろうとする反面、消費者としては商品をできるだけ安く買おうとする。そして、消費者としては、私たちは商品を大切にしない。労働者であり消費者。私たちは、それと気づかずに矛盾した生活を強いられている。そういう時代である。

 そして、教育現場では、かつては労働組合に加入することが当たり前であり、組合活動への周囲の理解が得られた時代があった。しかし、現在は、そのようなことは皆無に等しい。教育現場の疲弊を見せることで、私たちは文字どおり、子どもたちにとって「反面教師」になっているのかもしれない。そういう時代である。

 要するに、私たちの時代は、実質的には退行、逆行している時代なのである。

 このような時代には、私たちは「勝利」などという勇ましいことは言えそうもない。

 まず、私たちは、消費者でもあるが故に労働者に徹しきれない、矛盾した弱い存在であることを認めよう。消費社会のなかで、自らを商品としてまるごと消費社会に身売りしてしまうおそれのある弱い存在であることも認めよう。しかし、自らをまるごと商品としてしまうことは労働者としての「死」を意味し、それは、これまた奴隷制への逆行である。

 ここで、私たちの労働力という商品は他の商品と決定的に違うことがある、ということを忘れてはならない。それは、それがどんなに欠陥品であろうとも、労働力という商品は、私たち自身の大切な所有物である、ということだ。私たち個人のものである以上、それは固有の尊厳性と切り離せない。「労働は神聖」なのではなく、「労働力が神聖」なのである。それに対し、一般商品の販売者である企業(法人)には尊厳性を認めようがない。問題を起こす労働者も、どんなに不真面目な労働者も、等しく尊厳性を有する存在であるという事実を改めて確認したい。

 最後に、私たちの時代は、「帝国主義」の時代に逆行したかのような時代でもある。そのようななかで、かつての帝国主義列強が各地の民族を完全に「負かす」ことができなかったのと同様、確実に言えることは、ウクライナ人も、ガザのパレスティナ人も、その闘いが武力によるものだけではなく、究極的にはその尊厳性を守るものでもある以上、たとえ表面的に負けたとしても、絶対に負け切ることはないということだ。私たちもそれに共鳴し、負けることはあっても、負け切らない闘いを志すことを共有して、大会宣言としたい。

2024年5月25日

大阪教育合同労働組合第36回定期大会